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2009年 11月 21日
Vital Signals@横浜美術館:1日目
Vital Signals[ヴァイタル・シグナル]
日米初期ビデオアート上映会 -芸術とテクノロジーの可能性-
Japanese and American Video Art from the 1960s and 70s
1960、70年代――メディアアートのパイオニアたちが挑んだ50の実験の痕跡。
http://www.yaf.or.jp/yma/lecture_hall_info/040/
会場:横浜美術館レクチャーホール

京都での事書きたいけど、その前に今日観てきた上映会について忘れないうちにー。
国立近代美術館での『ヴィデオを待ちながら』に続き、初期のビデオアートがどっさり観られる良い機会。20-30年代のアヴァンギャルド映画と、60-70年代のビデオアートで、映像の可能性はほぼ全て汲み尽くされてるとも言ってもいいくらいに、映像の基礎をなすような実験が数多く行われてるんで、映像やる人はこういう機会にちょこちょこ観ておくと良いと思う。面白いアイディア思いついても、結構この時代のと被ってたりするし、その予防のためにも。以下簡単な覚書。

今日は2プログラム19作品を。
aプロ「ビデオ言語論」
コンピューターを使った電気的でテクノロジカルな作品を集めたプログラム。一見、視覚的な実験がメインのように見えるけど、ここでは単なる視覚の戯れというより、むしろ聴くことによって観ることが指向されるような印象を受ける(もちろん、上映という環境の良さがあってこそだけど)。つまり、作品の中で映された、エフェクティブに移り変わるビデオの中の形体や色は音響の助けを借りて存在できてるような、思考の対象となりうるような、そんな印象。このプログラムの中では、特にヴァンダービークの"Strobe Ode"で顕著であるが、例えば抽象的に映し出された色や線だけではただそれだけのものが、海の音や心音によって、バイオロジカルなイメージをなんとか獲得できている。さらに言えば、そこではじめて単純な遊びから抜け出し、ビデオ言語の使い手が作品としての強度を獲得しているとも言える。観客はこの音響体験があるからこそ、そこで観る態度を選択できる。"Strobe Ode"では音響によって例えば胎内のようなイメージも得られるし、松本俊夫の"モナ・リザ"ではSF的な遊び心を感じられる。この「観る態度」という視点で考えた時に最も面白いのが松本俊夫"METASTASIS 新陳代謝"で、これは便器の画像の色が鮮烈に操作され、シンセサイザーの音響が鳴り渡るという作品なのだが、ここでは便器が便器の意味から抜け出して、その曲線が持つビジュアルな可能性が示されている。便器というのは、恐らくデュシャンを意識したものだろうが、ここでのデュシャンとの大きな違いは、観客が便器を便器と認識した後にも上映時間によって拘束されるという点である。観客は便器に対して、まず自分の認識を確認した後、音響と色彩のエフェクトの中で次第にその認識を変化させていく。そこでは誰が用を足すわけでも掃除するわけでもない、便器としての機能は映像的には何一つ与えられず、それどころか色彩とビデオの特性によって、より平面的になっていく。この効果は、もちろん観た人誰もがそう感じるわけではないし、そもそも松本俊夫がそれを指向していたというわけではない(エフェクトによってフィクショナルなイメージを作り出すという点ではその通りであるかもしれないが)。ここで重要なのは、それは何であるという結論付けではなく、その結論は「観る態度」によって導かれているということ、音響が「観る態度」の糧となっていることである。ちなみに、飯村さんの作品群では、この「観る態度」が、観客にではなくアーティストによって行われているのではないか。とすると観客の的としてのスクリーンは、逆に観客を的としていることになる。作品が的でありながら、同時に観客も作品にとって的となっている、というのはアコンチも昔インタビューの中で語っている。

bプロ「拡張する形式」
このプログラムもテクノロジカルという点ではaプロと同じテーマを扱っているともいえるが、ここで集められた作品群は、エフェクティブなものよりも、ビデオの原初的な特徴に言及した構造的でミニマルなもの。ここのプログラムで紹介されている作品は三つの可能性を持っているんではないだろうか。一つ目の可能性としては、見始めて少しすればわかる、それらがどういう構造に基づいて行われているかというアイディアで、これは作品の根幹をなしている思想である。二つ目の可能性としては、観客が構造を理解した後にもひたすらに行為が行われるというしつこさに因るもので、これによって、瞬間的に感じる作品への印象に、だんだんと別なイメージも付与されていく。例えば、飯村さんの「This is a camera which shoot this is a camera which shoot...」と永遠にやり続けたい欲求と、それを観る観客の忍耐とによって起こる。三つ目の可能性としては、構造を行う身体やビデオのテクスチャーに対する印象やイメージの想起で、これは一つ目の可能性のように瞬間的に感じる印象であり、二つ目の可能性のようにアーティストの作家性や身体性に基づいている。(この三点の例をちゃんと挙げておきたいけど眠いから続きはまた明日。とか言って書き途中になってるエントリたくさんあったなあ...。)
ちなみに、上映後に壇上に上がられた山本圭吾さんはご自身の作品を幼稚だとご謙遜なさっておられましたが、僕はそれは良い意味で同意したいと思います。というのは、構造的な作品やミニマルな作品には、ある種の拍子抜けする瞬間が備わっているからで、それは構造を示す行為の単純さから来るものに他ならず、一度その行為を通して構造を理解しさえすれば、現れている行為の簡単さとは裏腹に、驚くほど厳格なものが潜んでいることに気づくはず。だから、厳格さを含む幼稚さであって、明晰でなければ表出しない幼稚さだろうなと感じます。
# by videotasha | 2009-11-21 22:38 | Comments(0)

2009年 11月 05日
JKのスタジオ
ほんと、何人雇ってんだろ。



# by videotasha | 2009-11-05 06:52 | Comments(0)

2009年 10月 30日
芸術は——のために。
うあー、急に冷えてきたなー。
先日、朝までグランジ聴きながら制作してたら、妙にグランジファッションをしたくなり、収納の奥からネルシャツ(若干小さかった。ダサい:笑)を取り出して、いつもの穴空きジーンズにソニックユース"GOO"のTシャツを着用。でも全然グランジっぽくなんなかった。サイズと髪と決定的な何かが足りないんだろう。でもその格好で学校行ったもんだから、とびきり寒かった。



『美術/芸術は何のため、誰のためのものか』という、一生考えていくべき命題について。

が、しかしながら、人間に本有のあらゆる才能を、われわれは、われわれの一生涯を捧げ尽くしている同一目的—すなわち、神の意志の遂行という大目的—を達成するための、手段と考えているのです。われわれは学問や芸術なるものを無為徒食の閑人の娯楽としてしか役立たぬ、遊び仕事と考えたりしません。われわれは学問に対しても、また芸術に対しても、人間のあらゆる仕事に対する場合と、同一のものを要求します。—すなわちわれわれは、これらのものの中にも、キリスト教徒のあらゆる行動を貫いている神と隣人とに対する実践的な愛の実現されることを要求するのです。われわれが真の学問と認めるのは、われわれを助けてよりよき生活に入らせてくれる知識のみですし、またわれわれが芸術を尊重するのは、それがわれわれの思想を浄化し、魂を向上させ、額に汗して営々と労苦する博愛の生活に必要な、われわれの力を強化してくれる場合に限ります。(『光あるうち光の中を歩め』トルストイ/新潮文庫/p.81-82より抜粋)

僕はそもそも、このトルストイ晩年の著作の中で描かれている古代キリスト教の世界自体が、欺瞞だからというより人間性に対して閉塞的すぎて、気持ち悪くて仕方ないと思ってる。しかも、その価値観を芸術にまで当てはめられたらたまったもんじゃない。芸術は、決して博愛のためでも、魂を救うためでも、ましてや神や隣人への愛の実現のためになんてあるわけじゃない。そんなのとんでもない。芸術を友愛の道具にするなっての。たしかに、個々人が芸術によって慰められたり、精神を鼓舞されたりってのは普通に起こりうるだろうし、あってしかるべきだろうが、芸術はそういう、他者の精神に対して作用することが第一義にあるわけじゃない。あくまで副次的な効果。(別に小説を悪く言ってるんじゃないっす。それ自体は示唆に富んだ素晴らしい作品だと思ってます。)
そういや「ART IS FOR THE SPIRIT」と声高に唱えたのはボロフスキーだけど、これはボロフスキーのコンセプトがあってこその言葉であって、この言葉だけ見て「ああ、芸術は精神のためのものなんだな」なんて思うのはまずい。むしろ言葉だけで端的に表すなら、「ART IS FOR THE OWN SPIRIT」(文法合ってる?)の方がしっくりくる。芸術は芸術のため、自分自身のためにしか存在し得ないだろう。
ボロフスキーしかりボイスしかり、社会に対して芸術を行っているアーティストはたくさんいるけど、彼らの作品がそれでも面白いのは、どんなにコンセプトを社会へ向けても、それは結局芸術へと回帰すること。それは、つまり彼らが芸術を利用して社会に対して何かを行っているわけではなく、社会に対して何かを行うことを芸術にしているからに他ならない。あの厳格なジャッドは「芸術を芸術としてだけ扱う」「芸術を他の何かのために使いはじめたとたん変なことになる」と言っているけど、まったくその通り。
「芸術は芸術のためにのみある」っていうと排他的に聞こえるかもしれないけど、それは単に「芸術」って言葉が内包しているものが想像できてないだけで、「芸術こそ思考の存在」みたい考えは含意してない。「芸術」はそれ自体で社会や人間や娯楽や、いろんなものを含んでいる。だから、変に社会のための芸術を志向しようとしたものはひどくなる。それは展示なんかでも割とそう。
「芸術は自分のためにのみある」っていうと、他者はどうでも良い、自分自身の心理的なもののためにだけ芸術をやれば良い、という風に聞こえるかもしれないけど、それも違う。他者の存在を想定して作るのと、他者のために作るのは意味が違うから。作品を観る他者の存在を想定するのは芸術の一つの要素だけど、他者のために作るのはただのエゴ。「入場料とらないとしても、人の時間をもらうんだから、そういうつもりで作らなきゃ」とか言われると吐き気する。薄ら寒い他者主義。芸術に限らずそんなんばっかだけど。エゴでやってんのに誰かのためなんて御旗掲げて恥ずかしい。もっと「自分のためです」って堂々と言えば良いのに。
ちなみに「芸術は芸術のためにのみある」ってのと「芸術は自分のためにのみある」ってのは矛盾してない。芸術を行う自分が行う芸術を行う自分が行う芸術・・・と続くから。

以上メモ。おやすみ。


あ、そういやアド街吉祥寺だった。先週見ようと思ってたのに。
# by videotasha | 2009-10-30 02:59 | 日記系 | Comments(0)

2009年 10月 21日
村上隆氏の手がけたCDジャケット
調べてみたら意外と少ない。他に知っていたら是非コメントを。
何となく気分で調べてみただけなんだけど。

有名なゆずのベスト2枚。これが出たときは随分とゆずのイメージとかけ離れてるなあと感じた記憶が。

Home[1997~2000]

ゆず / トイズファクトリー


Going[2001~2005]

ゆず / トイズファクトリー



これは本人のインタビューを収めた1枚。モノクロでシンプル。

VISION'D VOICE 006 TAKASHI MURAKAMI 2003

村上隆 / D&DEPARTMENT PROJECT



カニエ・ウエストのアルバムと、そこからのシングルカットも全て。ネオンっぽいデザインの、キャラをあしらってない2枚がかっこいい。

Graduation

Kanye West / Universal


Can't Tell Me Nothing

Kanye West / Be Music


Stronger

Kanye West / Mercury


Good Life

Kanye West / Mercury


Flashing Lights

Kanye West / Universal Int'l


Homecoming/Good Night

Kanye West / Universal Int'l



AKB48。篠田・小嶋・宮澤は結構似てると思う。一見、このセンスはどうだろう...と思うけど、鬱陶しいくらいにごちゃっとしてるのが、過剰で良い。

涙サプライズ!(DVD付)

AKB48 / キングレコード



気が向いたら他の作家もそのうち。
# by videotasha | 2009-10-21 02:20 | 日記系 | Comments(0)

2009年 10月 19日
最近のお気に入り

# by videotasha | 2009-10-19 21:44 | Comments(0)

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